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平安時代の危機!「刀伊の入寇」と光る君、そして蘇我馬子の歌

ⓒ 読売新聞

平安時代、1019年。北東アジアの情勢不安が引き起こした「刀伊の入寇」は、日本にとって未曽有の危機でした。ドラマ『光る君へ』では、この歴史的事件が、主人公まひろと周明、そして藤原隆家の運命を大きく揺るがします。

周明の悲劇的な最期は、視聴者に衝撃を与えました。まひろとの再会を果たした矢先の出来事だっただけに、その喪失感は計り知れません。まひろの今後の進路、そして心の傷も気になるところです。

「刀伊」とは、高麗語で高麗以東の異民族を指し、主に女真族を指していました。当時の中国では遼と宋が対立、遼による交易路遮断が女真の一部を海賊化させ、高麗、そして日本への侵攻へと繋がったのです。

日本の対外政策は孤立主義でしたが、北東アジアの混乱は日本をも巻き込みました。約50隻の船団による組織的な攻撃は、対馬、壱岐、筑前国沿岸を襲い、300名以上の死者、1000名以上の捕虜を出しました。その残虐行為は、藤原実資の『小右記』にも記録されています。

この危機に立ち上がったのが、大宰権帥の藤原隆家でした。博多湾での戦闘で、隆家は自ら矢を放ち、敵を撃退。かつての過ちを償うかのような、見事な活躍を見せました。鏑矢の音に驚いた刀伊軍は退却し、日本側の追撃によって侵攻は終息しました。

この戦闘は、中世的な戦闘形態への移行を示唆しており、歴史の転換期を象徴する出来事でした。ドラマでは、武功を示す基準が敵の首級の数であったことなども描かれ、中世への地続きな雰囲気を巧みに表現しています。

まひろと周明の船越津での会話も印象的でした。京を離れた理由を周明に打ち明けるまひろの姿は、彼女の心の痛みに寄り添うものがありました。周明の「書くことはどこでもできる」という言葉は、まひろにとって新たな創作への指針となるかもしれません。

ドラマでは、蘇我馬子の歌が宴の場で歌われ、武士たちの姿と重なり合います。この歌は、平安時代の優雅な雰囲気だけでなく、近づく戦いを暗示するものでした。

まひろと親友さわの友情も描かれ、その絆は作品として永遠に生き続けることでしょう。歴史的事実と登場人物たちの心情を巧みに織り交ぜた『光る君へ』は、平安時代の歴史と人間のドラマを深く伝えています。

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